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CDはどこへ行く <PART3>

f0173964_19424990.jpgまた話は逸れるが、
そもそもぼくはCDをほとんど聴かない。

今さらCDが嫌いと言うのではなくて、音楽を聴く媒体として、いまだにアナログレコードが最高だと思っているからだ。
CDはレコードのようにA面もB面もないし、もちろん針を落とす手間もない。ボタンひとつで最後の曲まで聴き通すことも、好きな曲の選曲も楽々。ランダム再生だって思いのままだ。
レコードと比較して便利極まりない。

しかしCDだと1時間近い収録時間のアルバムを、最後まで集中して聴くことが出来ないのです。
せっかくのアルバムなんだから、2、3曲くらいは印象に残したいと思うのだが、殆ど1曲目しか印象に残らない。2曲目以降はなんとなく惰性で流れてしまう…
しかも10曲位収録されているアルバムでは、その曲がその場所(何曲目)にあることにも製作側は意味を持たせているはずなのだが、選曲ボタンやランダム再生といった便利機能付きのCDプレイヤーを駆使する聴き手には、そんなことはほぼ伝わらない。

その点レコードには、不便な反面、アーティストとリスナーを結ぶ仕掛けがたくさん施されている。
まず、周知の通り30センチの円盤であるアナログレコードは、針が外側から中心に向かって溝を刻む。
よってそのスピードは外側が速く、中心に進むにつれて遅くなる。
その結果、外側、つまり1曲目が録音・再生の状態が最も良く、中心部に近づくほど帯域が狭くなり音が劣化するという特性を生む。
その為制作側は、リスナーに一番聴かせたい曲、伝えたい音を、A面かB面1曲目に配置し、逆に音が劣化する両面ラストの曲は帯域が見立たないスロー/バラード系を割り当てるのを常套の手法としていた。
またレコード収録時間は片面17分程度が最良とされ、それ以上時間が長くなるにつれ、音質が劣化すると言われている。

リスナーが期待を胸にA面1曲目に針を落とす。そこに流れて来るのは、アーティストが一番根性をこめて作った曲。録音状態も最上だ。その曲が素晴らしければ素晴らしいほど、A面を聴き通す集中力へと繋がり、同時にB面への期待が高まる20分間ともなる。そしてまた円盤を引っくり返し、感動のB面1曲目に出会うわけだ。
片面20分位の収録時間も、通して聴くには丁度良い。
レコードには1曲目が2度、ラストも2度訪れる。そしてこれらがまたいい曲が多いのよ…

確かにレコードは物理的にも大きく重く、そして収納にも困る。針を落としたり、盤を拭いたりと手間も掛かる。
しかしこうした特性や制限があるおかげで、レコード盤自体への愛着が深まったり、制作側の“気”がリスナーまで届きやすいのではないか…

針を落とすたびに胸が締め付けられる…、むずっとするけど、こんな表現はレコードならではだ。

f0173964_21465032.jpg←2009年6月12日付 日本経済新聞 文化覧「レコードよ 永遠に回れ」
~レコードのカッティング技師として40年、熟練の技で音色奏でる~


時代は変わる

そもそもCDが無くなるのは、配信に取って変わられるかもしれからとのことだったが、もしかするとレコードからCDへ移り変わった時点で、既に音楽の価値は失われていたのかもしれない…
時代は進み、アナログからデジタルへ。ゲーム、ネット、携帯電話など娯楽の多様化をはじめ、急速に進化した情報化社会。伴う貨幣価値の変遷。そして利便性の功罪…
ボブ・ディランもうたってる、「父、母よ、子供のすることがわからないなら、そのまま黙っていてくれ。古いやり方はなくなりつつある、今はのちに過去となる。時代は変わりつつあるんだから」と…
CDが無くなるのも時代の潮流なんでしょう。

でも、
パッケージCDの売上に反して、コンサート、ライブの興行収入は右肩上がりらしい。CDと違い、そこでの味わいは復元不可、一期一会なのです。そこにはお金を払う価値がある。
簡単にダウンロード、ネット検索して通販で手に入れた音楽に思い入れはない。欲しくて探して手にとって、針を落としソファーにむせび泣く…
どんなに時代が変わっても、想いを込めて聴いた音楽は永遠に生き続けるでしょう。

以上、勝手なことばかり述べて支離滅裂な話になりましたが、CDでもレコードでも配信でも何でもいいんです、人を癒したり励ましたりできる音楽が存在すれば。
また今後、21世紀のマイケルやビートルズが誕生することも願って。

LOVE, PEASE & SOUL!!

◎・・・・・うちのレコードは永遠に回ります・・・・・・・◎
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by l-jones | 2010-02-20 21:35 | book

CDはどこへ行く <PART2>

f0173964_15152367.jpgモータウンレコードの金字塔
MARVIN GAYE 「WHAT'S GOING ON」(1971)


少し脱線するが、昨年2009年でモータウンレコードが50周年を迎えた。
各メディアで取り上げられていて、モータウン・サウンドを耳にする機会が多くあった。
こうしてあらためて聴いてみると、一世を風靡した60年代のモータウン・サウンドには似通った楽曲が多いなと感じる。
それはホーランド・ドジャー・ホーランドやスモーキー・ロビンソンが作り出す、白人マーケットをも意識した甘く口当たりの良い規則的なベースラインと心地よいタンバリンの音色が、モータウン・サウンドのベースとなっていたからだ。
今日でも色褪せることなく、世界的に認知されているものの殆どがそのリズムパターン。
ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスの「恋はあせらず」とか、テンプスの「マイ・ガール」とか、スティービー・ワンダーの「心の愛」、そしてジャクソン5の「帰ってほしいの」などなど、まさにエバー・グリーン、世界中で愛される珠玉の名作だ。
なんつったって数年前の自分の結婚披露宴の入場曲だって「マイ・ガール」だ!(笑)
(多少ひねってカヴァーヴァージョンを使ったが)

そんなモータウン現象と被る音楽が日本にもある。小室サウンドだ。
90年代に社会現象にもなった一大ムーブメントである。
94~97年には20曲が100万枚以上を売り上げた。今の冷えた市況を考えると物凄い数字。小室哲哉氏は疑いも無い時代の寵児だった。

しかし、ヒット・ファクトリーとしての実績は先のモータウンも小室ファミリーも近い現象ではあったが、その2つのブームには決定的な違いがあるとぼくは感じる。
その一つが音楽そのものである。
モータウン・サウンドの殆どは今なお鑑賞に耐えるもので、市況でもいまだに一定の売上を作る定番的な音楽。実際最近でも映画「ドリーム・ガールズ」や「永遠のモータウン」などでモータウン関連は取り上げられ映像化されている。昨年大きなトピックとなったマイケル・ジャクソンの映画「THIS IS IT」でも、もちろんモータウン時代の曲も映像も使われている。
対する小室サウンドはどうだろう。
今わざわざCDを買って(配信でもレンタルでもいいが)小室サウンドを聞きたいと思う人がどれくらいいるのだろう。
それどころか、小室サウンドが1,2曲位しか思い浮かばない…

f0173964_1592074.jpg同じような曲調、テンポ、キー、そして立て続けのヒットは共通したブームの方程式だが、その楽曲に携わったミュージシャン達の起用には対照的なものがある。
モータウンはソングライター、プロデューサー、ミュージシャン、そしてもちろんシンガーも、楽曲に携わる人全員が一流の腕利き音楽家。その全てが不可欠であり、一つの欠如も許さなかった。それがヒットの前提であったから。
同様な背景が小室ブームにはあっただろうか。小室サウンドで一貫しているのはソングライターが小室氏であることと、歌うのはウマヘタ関係なく知名度高いアイドル。旬であれば芸人でも可。とにかく求められていたのはスピード。1年に何曲リリースできるか、当時のレコード会社が必要としたのはただそれだけだった。

またもう一つ時代の変化も大きな隔たりとなる。モータウン全盛期の60年代は技術革新が進み、楽器、録音技術、加えラジオなどの放送技術も目覚ましく発展。ゆえにより完成度の高いサウンド、音楽を求め、そして競い合った。こうしたイノベーションの波にうまく乗ったのがモータウンだろう。

反対に小室サウンドは無数のシングルを発売したが、当時のシングルCDパッケージの主流は8センチCD。そう、2000年頃には12cmCDシングル(マキシシングル)に取って代わられ、市場や茶の間から姿を消すこととなるあの小さなCDだ。小室サウンドも然り、この8センチCDとともに消えていった…

こうした時代の変化と進化、そして小室サウンドそのものが要因となり、ジャパニーズ・ポップス、ひいては日本音楽の文化的価値が下がり、消費音楽としての位置付けが確立していったような気がする。

たしかに来年には不要となる音楽CDに1,000円や3,000円出せないな。だったら友達に借りるか、カラオケで歌いたい1曲のみ150円でダウンロードすっかな…

今日のパッケージCDの業績不振と、音楽といった文化産業の趨勢はリンクしているのだろう。

<この項まだ続く>
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by l-jones | 2010-01-29 18:57 | book

CDはどこへ行く <PART1>

f0173964_22233795.jpg図書館で偶然見つけたレコード・コレクターズ2008年7月号(ずいぶん古いな)。その特集に目が留まった。
「CDはどこへ行く」
昨今、音楽CDの売上が下落傾向で、このまま進むと欧米のように配信などの音楽のデータ化が主流となり、近い将来パッケージCDはなくなってしまうのでは?といった話題を、レコード会社、アーティスト、CDショップ、そして音楽ライターや評論家達が俺はCD派だ!私は配信で新たなフィールドを開拓してるんだ!と、けんけんがくがくやっているわけだ。
最近も「09年の音楽CD生産額、16%減 11年連続前年割れ!」「ピークの98年から6割減少!」なんて大騒ぎだし。6割減!?それは心配になりますな。

最終的に結論は出ないのだが、こうした人たちは音楽で飯を食っているわけで、少なくとも一般人よりは音楽が身近にある。
そんな業界人さん達は、往往にして音楽好きでかつ精通し、生活の一部となり、当然所有欲もある。
結果、パッケージ擁護派が多数を占めるのだが…

データを所有。
今の若者達はCDのことを「マスター」と呼んでいるらしい。
単なる音源。音だけ買えれば、音だけ友達から借りられれば満足なんだ。

先日知人宅へおじゃまする機会があった。
リビングにはCDが1枚もない。結構音楽好きなのにな、なんて思っていたら、「パヒューム聴くか!」と言い出し、おもむろに鞄からiPodを取り出してそれをテレビの横にあるミニコンポの上に置いた。
するとなんとそのコンポのスピーカーからパヒュームが!!!!
ってそんな驚くことではないのだが、そのiPodの中には以前所有していたCD数百枚分の音源が格納されているらしい。
彼はCDを1枚も持たずとも、多数の音楽を所有出来ているわけだ。
ちなみにCDは全てブックオフ行きとなったらしい…

音楽をデータで持ち歩くなんて時代ではなかった頃から、CDに親しんでいるぼくにとっては、音だけ所有するなんて違和感極まりない。ぼくからすれば、知人はリビングでパリュームを聴くことができるが、彼はパヒュームを持っていないのだ。


f0173964_030220.jpg子供の頃、最初に買ったレコードって覚えてますか?
覚えてる、小学5,6年の頃近所のレコード屋で買ったさだまさし「恋愛症候群」(どんだけませてんだ!?(笑)でも良い曲ね)。
では最初に買ったCDって覚えてますか?
ん~難しい…中学の頃だからキンクスかフーか…はっきりしない。
では最後に、最初に配信でダウンロードした音楽は?
松たか子「みんなひとり」←というか、この1曲しか買ったことが無いから…

レコードやCDを手に取りジャケット眺め、ライナーノーツ読んで、プロデューサーやアレンジャー、ミュージシャンを確認する。
そして歌詞カードを見て、やっぱり英語わからん、ちょっと高いけど対訳付きの国内盤買えば良かった!また失敗した!と後悔しながら聴く… とか、
聴く度思い出すんだ…この曲を彼女にプレゼントするオリジナルテープに入れるんだ!って意気揚揚と買った頃だっかたな…彼女が去っていったのは、とか…
個人的には音楽はこれだけ楽しんでなんぼのものって気がするんだけどなぁ。
はたして音だけを簡単に手に入れてたら、こうした想い出ってできたかな??
そして極論、レコード無しにビートルズやマイケル・ジャクソンは誕生したのか??

<この項続く>
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by l-jones | 2010-01-24 19:28 | book

雪と岩と氷の世界

f0173964_1292840.jpgBOOK
沢木耕太郎 「凍」 ('05)
山野井泰史 「垂直の記憶」 ('04)
九里徳泰 「冒険家になるには」('06)
山と渓谷 「山野井泰史 垂直の記憶」('06)
後藤正治 「不屈者」('05)
DVD
「白夜の大岩壁に挑む~クライマー山野井夫妻~」 ('08)


理解できなかった。なぜ登るのか。

沢木耕太郎著「凍」を読み終えたとき、ふと思い出した。
去年('08)の夏頃に登山家がジョギング中にクマに襲われたな…まさか…と思ってネットで調べてみれば、そこには登山家 山野井泰史さんがクマに襲われ右腕を20針、眉間から鼻にかけて70針ほど縫う重傷を負った記事がたくさん…
なぜそれを覚えていたのかというと、事件の内容も壮絶だが、山野井氏の両親のインタビューが非常に印象的だったんだ。安堵の表情を浮かべながら、
「無事で良かった。が、ひと月、ふた月したらまた山を登りだすのでは。」と…

・・・・・

私は登山やクライミング等に全く興味ない。当然山野井氏のことなど知る由もなかったが、ふとしたきっかけで読みだしたこの本になぜかのめり込んだ。
「凍」は、山野井氏が2002年37歳でヒマラヤの難峰ギャチュン・カンに妻と二人で挑んだノンフィクション。
その類いない登攀歴から「日本最強のクライマー」、その危険を顧みない登攀スタイルから「天国に一番近い男」と呼ばれる山野井氏。
そんな彼がギャチュン・カン単独登頂後の下降中、絶体絶命の危機に遭遇する。
幾度となく雪崩に襲われ、危険な場所での究極のビバークを何度も強いられ、妻妙子さんが雪崩に飛ばされ50m以上滑落し氷壁の下で宙づりとなり、雪崩直撃のせいか眼球が凍ったためか失明状態となり、支点作りのため凍傷覚悟で素手で氷以上に冷たい岩をまさぐり…
その困難は枚挙にいとまがない。

彼らは生きるためにすべての精力を使い果たす。そして最後は幻覚を見ながらも奇跡的に生還する。

その代償として山野井氏は手と足の指計10本を切断。妙子さんは既に第二関節からなくなっている両手の指を、全て付け根から切り落とした。
その鬼気迫る展開と緊張を、客観性、現実感を維持させることで、更に厚みをかける手法は、著者の面目躍如といったところだが、いやいや、ホントに凄い。半端ない…

・・・・・

山野井氏に関する文献を探し、読み漁った。
ギャチュン・カン後に挑んだグリーンランドの大岩壁のドキュメンタリー映像もDVDで見た。

山野井氏の生い立ちから多くの難峰の登攀歴、妙子さんとの出会いと結婚、アルパイン・スタイルでソロで登るこだわり(酸素ボンベがころがり、ロープもあちらこちらに吊り下がっているようなエベレストには興味がない)、ギャチュン・カンで二人が遭難と判断されてから、生還までの親御さんの心境、そして現在でも登り続ける二人の姿まで、多角的に見つめてみた。
それでも何故そこまでして登るのか。何故そんなにも困難が好きなのか、理解できない。

・・・・・

f0173964_19352175.jpg本人が書き下ろした「垂直の記憶」は、ギャチュン・カン生還後、自らのクライミング人生を振り返った登攀体験記。
そこで印象に残った語録を以下に。

「夢がなければ生きていられないし、都会で生活していると落ち着かず、すぐにでも雪と岩と氷の世界へ戻りたくなってしまう。
一般の人から見ると、狂っているかもしれないが、これが僕の人生なのだ。」
「生物を拒絶する岩と雪と氷の世界---。
僕はそこに帰らなくては生きていけない。厳しい環境が眠っている僕を生き返らせてくれるのだ。」
「僕にとっては、空気や水のように重要で、サメが泳いでいなければ生命を維持できないように、登っていなければ生きていけないのである。」


本人の文章もクライミングに人生を費やしていたとは思えないほど上手い。
作家の沢木氏に「アクションよりもリアクションを書くといい」とアドバイスを受けたようだ。

・・・・・

ギャチュン・カン後、山野井夫妻がどこへ向かうのか…8,000メートル峰を登攀するための体はもう無い。指を失ったことは致命傷だ。
そんなときの山野井氏の母のコメントがこれ。さすがは山野井氏の母親だ。

「二人がこれからまた山を続けていくとすれば心配ですが、でもそれは二人が決めることです。
それよりも、二人が目標を失ってしまうのが心配です。」
(「不屈者」より)

そんな母の心配も、結果的には杞憂に終わるのだが。
今もどこかの岩と雪と氷の世界で生きているのだから。

・・・・・

妻の妙子さんの登攀人生も壮絶だ。
彼女もまた日本を代表するクライマー。山野井氏が唯一一緒に登りたいと思った女性だ。
口数の少ない素朴な感じの女性だが、どんな状況下でも取り乱すことのない、肝が据わった人だ。
家事は何でもこなし、ご飯はかまどで炊き、おかずは庭の畑や近くの山で摘んだ芋や大根や山菜が並ぶ。
しかしその登攀人生は平坦ではない。
1991年ネパール・ヒマラヤの高峰マカルーで、帰路でのビバーク中、男性パートナーを失った。
ロープで宙づり、凍結、落下…そして彼女自身も鼻先と左足薬指を除く手足19本を凍傷で失った。そんな彼女が言っていた。

「(指は)多少不自由ですが、どうということはありません。常日頃はわすれてます。亡くなったパートナーのことは決して忘れませんが…」(「不屈者」より)
「山にはお金を掛けるけれど、他のことはどうでもいい。」(「白夜の大岩壁に挑む~クライマー山野井夫妻~」 より)

・・・・・

もしかしたら二人は稀代の幸せ者かもしれない。山野井氏はクライミングは遊びだと言っている。
「真面目に遊んでいるだけ。ただこの程度の遊びに何十年も命をかけている。」(「白夜の大岩壁に挑む~クライマー山野井夫妻~」 より)
こんな幸せなことはない。
人生を掛ける遊びを、見つけることさえできない人が殆どだ。
だから逆に山野井氏を応援したくなるのかな。決して自分では成し遂げられないとわかってるから。
せめて彼には…と。

学生の頃、沢木耕太郎著「深夜特急」に感銘を受け、香港へ一人旅をしたことがある。
今回も同じように熱くなるものがあったが、決して自分で登山してみようとは思わなかった。
私は「雪と岩と氷の世界」はどちらかといえば嫌いだ。
だからきっと永遠に彼の登りたいという純粋な気持ちと高いモチベーションは理解できないだろう。
だが、そんな山野井氏の誕生日は私と一日違いだ。何の関係もないが(笑)。

・・・・・

昨年、クマに襲われ、重傷を負った本人のコメント。(山野井通信より)
「残念なのは2ヶ月後にオーストラリアクライミングを考えていたのに最も大切な腕を痛めてしまった事です。
それでも・・・生きている熊に触れられるなんて・・・感動、言葉が適切ではないと思いますが、貴重な体験をしたような気がします。
野生動物を嫌いにもなっていません、また山のへの興味も失っていません。
僕は回復したら岩に登り、山に登りそして自然を満喫することでしょう。」

腕を20針、顔を70針縫った人のコメントです。
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by l-jones | 2009-02-08 16:30 | book