CDはどこへ行く <PART2>

f0173964_15152367.jpgモータウンレコードの金字塔
MARVIN GAYE 「WHAT'S GOING ON」(1971)


少し脱線するが、昨年2009年でモータウンレコードが50周年を迎えた。
各メディアで取り上げられていて、モータウン・サウンドを耳にする機会が多くあった。
こうしてあらためて聴いてみると、一世を風靡した60年代のモータウン・サウンドには似通った楽曲が多いなと感じる。
それはホーランド・ドジャー・ホーランドやスモーキー・ロビンソンが作り出す、白人マーケットをも意識した甘く口当たりの良い規則的なベースラインと心地よいタンバリンの音色が、モータウン・サウンドのベースとなっていたからだ。
今日でも色褪せることなく、世界的に認知されているものの殆どがそのリズムパターン。
ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスの「恋はあせらず」とか、テンプスの「マイ・ガール」とか、スティービー・ワンダーの「心の愛」、そしてジャクソン5の「帰ってほしいの」などなど、まさにエバー・グリーン、世界中で愛される珠玉の名作だ。
なんつったって数年前の自分の結婚披露宴の入場曲だって「マイ・ガール」だ!(笑)
(多少ひねってカヴァーヴァージョンを使ったが)

そんなモータウン現象と被る音楽が日本にもある。小室サウンドだ。
90年代に社会現象にもなった一大ムーブメントである。
94~97年には20曲が100万枚以上を売り上げた。今の冷えた市況を考えると物凄い数字。小室哲哉氏は疑いも無い時代の寵児だった。

しかし、ヒット・ファクトリーとしての実績は先のモータウンも小室ファミリーも近い現象ではあったが、その2つのブームには決定的な違いがあるとぼくは感じる。
その一つが音楽そのものである。
モータウン・サウンドの殆どは今なお鑑賞に耐えるもので、市況でもいまだに一定の売上を作る定番的な音楽。実際最近でも映画「ドリーム・ガールズ」や「永遠のモータウン」などでモータウン関連は取り上げられ映像化されている。昨年大きなトピックとなったマイケル・ジャクソンの映画「THIS IS IT」でも、もちろんモータウン時代の曲も映像も使われている。
対する小室サウンドはどうだろう。
今わざわざCDを買って(配信でもレンタルでもいいが)小室サウンドを聞きたいと思う人がどれくらいいるのだろう。
それどころか、小室サウンドが1,2曲位しか思い浮かばない…

f0173964_1592074.jpg同じような曲調、テンポ、キー、そして立て続けのヒットは共通したブームの方程式だが、その楽曲に携わったミュージシャン達の起用には対照的なものがある。
モータウンはソングライター、プロデューサー、ミュージシャン、そしてもちろんシンガーも、楽曲に携わる人全員が一流の腕利き音楽家。その全てが不可欠であり、一つの欠如も許さなかった。それがヒットの前提であったから。
同様な背景が小室ブームにはあっただろうか。小室サウンドで一貫しているのはソングライターが小室氏であることと、歌うのはウマヘタ関係なく知名度高いアイドル。旬であれば芸人でも可。とにかく求められていたのはスピード。1年に何曲リリースできるか、当時のレコード会社が必要としたのはただそれだけだった。

またもう一つ時代の変化も大きな隔たりとなる。モータウン全盛期の60年代は技術革新が進み、楽器、録音技術、加えラジオなどの放送技術も目覚ましく発展。ゆえにより完成度の高いサウンド、音楽を求め、そして競い合った。こうしたイノベーションの波にうまく乗ったのがモータウンだろう。

反対に小室サウンドは無数のシングルを発売したが、当時のシングルCDパッケージの主流は8センチCD。そう、2000年頃には12cmCDシングル(マキシシングル)に取って代わられ、市場や茶の間から姿を消すこととなるあの小さなCDだ。小室サウンドも然り、この8センチCDとともに消えていった…

こうした時代の変化と進化、そして小室サウンドそのものが要因となり、ジャパニーズ・ポップス、ひいては日本音楽の文化的価値が下がり、消費音楽としての位置付けが確立していったような気がする。

たしかに来年には不要となる音楽CDに1,000円や3,000円出せないな。だったら友達に借りるか、カラオケで歌いたい1曲のみ150円でダウンロードすっかな…

今日のパッケージCDの業績不振と、音楽といった文化産業の趨勢はリンクしているのだろう。

<この項まだ続く>
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by l-jones | 2010-01-29 18:57 | book
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